- DJサチコ
渇きを意識する時期
渇き、というものを20代後半から徐々に感じるようになった。
最初は唇、だんだん手も乾くようになり、顔全体、ひじ、かかと……
じわりじわりと広がっていく「渇いてるな」と感じる箇所。
寒い季節になるとそれは顕著になり、今年はもうパサパサを感じている。
むしろヒリヒリしている。
学生時代には渇くというよりウェッティで、「彼氏と手を繋いだら手汗すごいって言われちゃうかもどうしよ〜」とか彼氏もいないのに思っていたのに。
今となってはスーパーのレジ袋がなかなか開けないで難儀する始末。
あの頃の私よ、スタンドみたい後ろに控えておいて、困ったときはそっとそのウェッティな手で袋を開けてくれ、と思う。
そんなこんなで長文に渡って体の渇きの話をしたが、今書きたいのはそんなことじゃない。
すなわち、「心の渇き」のことだ。
心の渇きに関しては幼い頃から感じていたんだと思う。
ジャンプの連載漫画終わったとき、夏休みにたっぷりと行われるマーチングバンドの練習が終わったとき、中学の部活の夏が終わったときなど。
夢中になっているものが終わったとき、私は渇きを感じる。
夢中になっているものがあるとき、潤っているのかというと実はそうでもないが、終わってしまった後の寂しさと、「早く!早く次を見つけないと!」という感覚はまさしく「渇き」だろう。
夢中になるものが欲しい。
スコーピオンが終わってしまった今、切実にそう思う。
まず、皿を洗いながら見るものがない。
料理をしながら見るものがない。
これは家事をするモチベーションにダイレクトに影響してしまう。
さらにいえば、やぶおそで喋るネタがない。
やぶおそは「眠れない夜にそっと寄り添う」とか言っておきながら、リスナーが眠れないのを良いことに私が好きなことをひたすら喋るのを聞いてもらう番組になっていたから。
何かに夢中な人は、魅力的に見えるだろうが同時にとても面倒くさい人だ。
喋りたいことだけをひたすら喋る。
なんて無責任で面倒くさい人。
そんな人の話は眠い。まじで眠い。
私なんてやぶおその編集しながらいつも眠くなる。自分で喋ったくせに。
だから図らずも、眠れない人にはぴったりなんじゃないかと自画自賛して甘えていたのに。
夢中になれるもの、無心になれるもの、ひたすらエンドレスできるもの探し中。
新しい海外ドラマに手を出そうか、でもスコーピオンの心の傷がまだ……いや良いんだけど。
とりあえず、終わってしまって超寂しいさまぁ〜ずさまぁ〜ずの過去回をアマプラで見れるだけ見てます。やっぱ大竹さんかっこいい。
来週はラブコメの話題です。
ラブコメ漫画読んでます。
やっぱり個人的にはバトルものが好き。必殺技とか出して欲しい。
でも来週はラブコメ話します。
もし専門的にラブコメ読んでる方いらっしゃれば、ぜひメッセージを。
そうでない方もどうぞご参加くださいませ。